今回は写真はありません。
なぜなら、特に書き込む事件もないからです。
でも、なんか書きたい!
身の回り、それから日本、世界では、さまざまなニュースが溢れています。
とうてい人間様のチカラで解決など、もう無理!みたいな膨大な量の出来事が複雑にからみあって、
ギリギリのバランスで今を保っている感じ。
でも知られていないところで、知らされていない問題も山積みのまま…。
こんなにも平凡平和な日本に生きて、遠く離れた国の問題など自分にはどうしようもないじゃんか、
…とつぶやき、あきらめて、知らなかった事にしようとしてしまう。
自分の日々の暮らしで精いっぱいなんだよ!と、割り切ってしまう。
そんな中でも、自分に出来ることを探して見つけて、活動する人もいる。
そのような人の想いを知ると、「オレってば、なにやってんだ~っ!」と叫びたくなる。自分のふがい無さに、ね。←で、今回は突発的に書き込んだわけで。
幸いかなクリスチャンは、なにも出来なくとも“祈る”ことは出来るという事を知っている。
祈って何になる? というお方。祈りを希望と考えてもらえれば分かりやすいでしょう。
希望の(良い)かたちを想像もしないで、どうして良い未来へ向かえましょう?
同じ希望を持つ人達で同じ祈りが出来れば、『神の国はあなたがたの只中にある』と言われるように、必ずやモーションは起きます。
もし日本の人達の多くが(大部分が)同じ良心を持って祈ることが出来たら、世界を愛で包む良きリーダーになれると思うのは、ミーだけでしょうか?日本は、日本人は、そうなれる資質があると思うのですが…。
で! まずは、この自己中に染まりきってしまいそうな日本の人びとのモラルを復活させるべく、ミーが考えた方法。
それは、『恩送り』!
江戸時代にあった言葉らしいですが、つまり、だれかに親切にされたら、別のだれかに親切を返す(送る)というもの。
でもそれでは生産性がないので、一度親切にされたら別の二人に親切を返すというもの!二倍です。これならネズミ算式に親切が増えていきます。
今では多くの人が親切にするのもされるのも下手で、双方『ブスッ』とした顔でいたりしますが、正直に感謝しましょう。ちょっとの笑顔で世界すら変わってゆく、と思うのですが。
そして自分が送った恩がいつか、沢山の感謝とともに大きなってまた帰ってきます。絶対そうなります。見返りや犠牲を思わない“愛”の行動とは、そういうものだからです。
そうした“良いサイクル”に、早く、浜松が、日本が、世界が、変わって行きますように。
そう祈らずにいられないのです。
ではまた次回!